聖書関連のDNAまとめ
                                                         2015  4月30日



       1. C14法年代決定法の修正 と 創造論の土台整備 ・・・ 炭素14法の修正、大陸の分離、人類の拡散

       2. ユダヤ人周辺のDNA ・・・ コーヘンのDNA、 J2a、G2c、E1b1b1a3、R1a1系統

       3. エジプト関連のDNA ・・・ ファラオのDNA、ヨセフからモーセへの歴史、ヨセフの妻

       4. ネアンデルタール人のDNA ・・・ ネアンデルタール人のmt−DNA、X染色体へのDNA混入、ネフィリム

       5. 古代日本のDNAと その性格(1) ・・・ 日本人のDNA、 D系統の文化、シルクロード沿いのDNA

       6. 古代日本のDNAと その性格(2) ・・・ mt−DNAによる日本人、失われた北イスラエルの子孫?、皇室のDNA(追加)、まとめ



     1. C14法年代決定法の修正 と 創造論の土台整備



  (1) 炭素14法の修正:


  まず創造論の立場から、14C法年代決定法の修正を行っておかなければならない。(* K−Ar(カリウム−アルゴン)法、U−Pb法、Rb−Sr法など、14C法以外の核種は 有効数字を全く度外視してるため、すべて無効。 ”何億年”、”何十億年”などという記述は進化論者の”信仰”なので、すべて無視して良い。 地球の年齢 45億年×、6000年○。 宇宙の年齢 138億年×、6000年○。)

  一般に知られている 何万年という時間は、炭素12に対する放射性炭素14の割合(14C/12C)が すべての時代を通して一定であるという仮定に基づいて算出される。しかし、それが一定であるという保証はどこにも無い。 聖書の記述によれば、地球を覆っていた「上の水」(創世記1:7) = 分厚い水蒸気層 の存在により、14C/12Cの値はノアの洪水の後に急激に増加したものであることが想定される。 空中の窒素14を炭素14に変換する 宇宙線の高エネルギー中性子線は、水の水素原子核である陽子が同じ質量であることにより、最も効果的に減速させる。そのため、洪水以前は 14C/12C の値は 非常に小さいものだったと考えられる。 また、DNAに損傷を与える中性子線が無かったので、900歳代など人々は著しく長寿であり、洪水後は急に寿命が短くなった。

  したがって、2000年前程度ならば史実とそれほど大きな差異は無いが、ノアの洪水の約4000年前に近づくほど、急激に何万年、数十万年という大きな値になってしまう。 14C法で知ることができる年代は、測定精度により せいぜい5万年前程度(ここで−3桁(1/1000)で、測定限界なはず)までである。 それ以上は測定値が小さすぎて無理であり、押しなべて4000年前程度に収束する。
  計算すると、14Cが自然崩壊する減衰曲線(青線、 すべて相似形)より、14C/12C 相対強度は、2000年前:0.785、 4000年前:0.616、 1万年前:0.298 などとなり、 14C/12C 増加曲線(赤太線)からの減衰より、 実際の年代は、

    2000年前:約1800年前、  4000年前:約3300年前、  1万年前:約3800年前、  5万年前、15万年前、それ以上:すべて約4000年前(≒ノアの洪水時)

などとなる。
 

  また、この時期の氷期は、洪水後に激しく短時間に繰り返された気候変動ということになる。高緯度のヨーロッパでは、ギュンツ、ミンデル、リス、ウルムの4氷期があるとされる。
  その時期(大雨 → 氷期 → 間氷期 のサイクル)は、聖書にある ノア以降の子孫の寿命の段差から推定できる。(↓) 子供から青年期に浴びた放射線の量が 寿命に影響する。 この ノアの洪水以降の断続的な寒冷化のために、箱舟に乗せられて大洪水を生き抜いたのに 数百年程度の間に絶滅した人種(クロマニヨン人(ウルム氷期で絶滅)、ネアンデルタール人?)や動物なども多いと思われる。
  シベリア凍土の氷付けのマンモスの胃には、温暖な地域で生えるイネ科の植物や キンポウゲ、ヨモギなどが 未消化の状態で入っている。肉はまだみずみずしく 地域のイヌの餌にされた。 ・・・ きわめて急激に大雪に閉じ込められたことを表す。
  また、急激な気圧の減少(2-3気圧 → 1気圧、翼竜・プテラノドンが飛べる大気圧)、酸素濃度の低下(30%→21%、琥珀中の気泡の分析)から、恐竜などの大型陸上動物(ノアの箱舟には卵か幼獣の状態で乗せられた)は血の巡りが悪く、大きくなることができずに 絶滅したと考えられる。

  最後の大雨の後の 「7年間の大飢饉」(創世記41:54)は、ヨセフがエジプトの宰相をしている時に起こった。(下図のBC年代は、メルネプタ石碑メルネプタ石碑解読出エジプト=BC1207年基準として 聖書年代から計算した。)

 


  * 熱ルミネッセンス法(TL法)では、熱履歴のある陶器などに限れられ、条件の取り方にも大きく依存するが、概して 14C法よりも原理的に狂いは少ない。熱ルミネッセンス法による メキシコのアカンバロ博物館に展示されている多くの”恐竜土偶”の分析では、4500年前(誤差5〜10%)と出たが C14法に比べ、大きくは外れていない。ペルーの恐竜土偶は 人と恐竜が共存している。 三葉虫と人が共存していた証拠として、加工されたサンダルの足跡の化石。
  ** 年輪年代法: 木の年輪を測る方法で、日本の稲作が始まったのがBC1000年頃(資料)、法隆寺に用いられている木材がAD650-690年で 聖徳太子よりかなり後に再建されたもので、聖徳太子が仏教様式で建てたというのは後世の捏造。 ノアの洪水前は、気温が温暖かつ一定だったので あらゆる木に年輪が見られない。

         →   DNA転写のメカニズム(2)         地層年代とノアの洪水の下のほう




  (2) 大陸の分離:


  このころ ネフィリムが増えて、急に地上に諸悪が増大した。ネフィリムは、堕落天使が人々の女に入ってできた子供といわれる。 一方、ノアが500歳の時に セム、ハム、ヤペテが生まれ、ノアが600歳の時に 神が「あと120年で大洪水によって滅ぼす」と告げられた。(創世記6:3)(* 人の寿命を120年とするのは誤訳であり、大洪水まで残された期間のことを表す。当時の寿命はもっと長い。 後の寿命については、詩篇90:10(「70年、健やかであっても80年」)。)


     「ペレグの時代に、地が分けられた(引き裂かれた)。」(創世記10:25)

とあるように、ノアの洪水後、しばらくしてから地上に大変動があったことが書かれている。(ノアの洪水の時にすでに 大陸の移動、山々の隆起、海溝の沈下などが起こっているが、それに加えて。)
  ペレグ すなわち パーラグ(PLG)は 分割(divid)、引き裂く(split)の意味で、 バベル(BBL)、その語源の バーラル(BLL) 混合(mix)、混乱(confuse) とは異なる。
  この時期は気候が不安定であり、上空にまだ残っている水蒸気層が雨になって降り続いたと考えられる。水蒸気層が無くなるにつれ、高緯度・極地方が放射冷却によって寒冷化して 氷河や永久凍土となっていった。
  ペレグは、洪水から 67年経って生まれ、地上に降り注ぐ中性子線が増加して、彼から3代寿命が200歳代になったので、彼の時に降った大雨と その結果の氷期により、大陸が沈下して海になり、あるいは、大陸が大移動したと考えられる。
  当時は、洪水直後なので、分厚く堆積している地質がまだ柔らかく地殻変動の衝撃を吸収して(大きな褶曲層もこの時できた。固まってからは褶曲にならない。)、人々や動物は死ななかったと考えられる。(*)


     「一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから別れ出て、四つの源となっていた。 第一のものの名は ピションで、それはハビラの全土を巡って流れ、そこには金があった。その地の金は良質で、またそこには、ブドラフと しまめのうもある。 第二の川の名は ギホンで、クシュの全土を巡って流れる。 第三の川の名は ヒデケル(ティグリス)で、それはアシュル(アッシリア)の東を流れる。 第四の川、それはユーフラテスである。」(創世記2:10−14)

  創造当時のエデンの園から流れ出る4本の川が、現在の川の位置まで大移動した形跡は、ヨルダン川(1000km)−紅海−アフリカ大陸(6000km)まで続く 大地溝帯に残されている。 ニムロデの王国があったシヌアルの地と クシュ(エチオピア)は接近していたと考えられる。(出アフリカ ≒ 出中東)
   ・・・・・ もちろん 具体的にどのようなメカニズムで、なめらかに大陸が移動したかは、今後の調査によって解明されなければならない。
  地が固定されてから、アブラハムに主が約束された土地は、「エジプトの川から、大川ユーフラテスまで」(創世記15:18)となっていて、ゴグ・マゴグ(エゼ38、39)の後に成就する予定。


     「人々は、東のほうからシヌアルの平地へ移動して、定住した。」(創世記11:2)

  「東から、東方から」 = ミ・ケデム(MQDM)。 ミ=〜から。ケデム には 「昔の(ancient)」という意味もある。 箱舟は アララトの地にある。今のトルコ東部、ただしアララト山(山=HR ハル)そのものではない;「アララテの山々(複数、HRYハレイ)」(KJV、創世記8:4)より その”地域”を示す。実際のノアの箱舟の遺跡は、アララト山からかなり離れたところにある。( → ノアの箱舟、 ↓ *箱舟の位置) そこから、その山岳部を降りて 平地に来たことを表す。しかし、方角から、シヌアルの地はアララト地方のかなり西のほうにあったと考えられる。

  カルデアのウル(創世記11:31)に残るシュメール文明の遺跡を発掘中、約2メートルの厚さの粘土層を発見。(by. 1929年、英、レナード・ウーレイ) その上層はシュメール文明であり、下層は 未知の それより古い文明層だった。(=ノアの洪水以前の層)
  洪水があったことを示す ギルガメシュ叙事詩: ”おまえの家をこわして船を造れ! 持ち物をすべて捨てて助かれ。あらゆる生き物のタネを積み込め ・・・ 朝の最初の光がさしてまもなく、黒雲がやってきて、夕方までには破壊的な雨が降りました。見るも恐ろしいほどの天候です。アダド(嵐と雨の神)の猛威が天 に達して、あらゆる光を暗黒に変えたのです。彼は徹底的に大地を裂きました。終日大嵐が吹きまくり、戦争のように人びとを一掃しました。6日6夜風が吹 き、雨は滝のように降りそそぎ、大洪水が土地をなめつくしました。 ・・・ ”
  これは、神の名前などが違うだけで、内容は聖書とほぼ同じになっている。 (→ ノアの箱舟とアブラハム


  *(示し1): 2015 4/25 北海道羅臼町幌萌町の海岸部が、地震も無しに一晩で長さ300m×幅40mにわたって 高さ10〜15mも隆起し、海底から隆起した石には海藻が付着している。一方 その裏山のほうでは、大規模な陥没が起こっていた。
    ・・・・・ 地震や衝撃無しに、地殻が動きうるということ。 昔の縄文人なども、今は海底にある つながっていた陸地を通ってやって来たに違いない。海底ピラミッドも同じ。 ((ex) ・ 04年の新潟県中越地震からは、2003年7月から始められた”CO2地中貯留試験”(深度1100mの砂岩層へのCO2注入)によって、活断層が固着すること(CO2がカルシウムと反応)によって起こり続けている。震源は注入口を中心に楕円形に広がっている。 ・ 大分県別府市(温泉の町)の地下には無数の活断層が集まっているが、地層がかなり破砕されているので 滑らかにすべり、地震にならない。)

  *(示し2): 2015 4/25 am11:56頃、ネパール・カトマンズ北西80kmを震源として M7.8の地震が起こった。カトマンズ周辺の町々は倒壊し、死者は8000人以上に達し、世界遺産を含む 多くのヒンドゥーや仏教の寺院が崩壊した。この時ヒマラヤ直下での断層ずれは 4.3m程度。
  ・・・・・ 偶像崇拝に対する神のさばきの結果であり、類似のことは 日本の海底ピラミッドにも言えることである。ただし海底ピラミッド構造物は 結構形が残っているので、洪水後初期の時代の地層が柔らかいうちに、あまり揺れずにそのまま沈んだと思われる。(→ 5.の(2) )

   




  (3) バベルと 人類の拡散:


  DNAは 動物、植物、細菌、古細菌、ウイルスという あらゆる”生物体”が所有している 生体コンピューターのプログラムである。(DNAを持たないコアセルベートは生物とは言えない) 被造物のDNAを通して、創造主なる神は、本質的に「言葉の神」でおられることを あかししている。(ヨハネ1:1−5) → (1)神のことばによる天地創造:、 (1) DNAについて:

  Y染色体DNAの遺伝距離による 推定分岐時期(DNAの1つの変異が一定の単位時間と仮定、15万年前・出アフリカ、左図)は、上記(1)の 14C法修正グラフ(*)により、単純に右図のように修正される。5万〜15万年はほとんど4000年(洪水直後の初期値)になり、DNAの変異速度は、初期の分岐の時ほど変異の程度が大きいことになる。 主の摂理に従って、ノアから3人の子(セム、ハム、ヤペテ)が生まれた時の変異率が最も高い。 14C/12C が現在の値に近づいている 新しい年代での差は少ない。

   ハムの子孫・猟師ニムロデによって、シヌアルの地(バビロニア)とアッシュルの地(アッシリア)に建設された都市群(創世記10:8−12)は、ご自身の介入による言語の混乱(混乱=バベル)によって、洪水後200年以内初期の段階で ほぼ全世界に一気に拡散させられたことが分かる。(創世記11:7) 特に ヤペテ系は ユーラシアを経て南米の先まで「広がった。」(ヤペテ=広がる) 聖書の記述から、アフリカグループもこの中東地域から拡散したはずである。((2)より、当時は 中東とエチオピアが同じ場所だった)
  また、航海技術が必要と思われる島嶼部への拡散時期はかなり遅いので、初期に拡散した地域はすべて陸続きだったと推定される。

  「バベルの塔」と呼ばれる建造物は、細かくレンガを積み上げてピッチで固定しただけなので必然的に下部が広くなり、”階段状ピラミッド”ではなかったかと推測される。このシヌアルの地から出たエジプト人(ハム系ミツライム、E系統)たちも、初期には石の”階段状ピラミッド”を建てた。ピラミッドを建設するという文化は、D系統の縄文人たちも同じ文化を持ち、今は海底に沈んでいる日本の”海底ピラミッド”(沖縄、青森など)を洪水後のかなり初期(拡散直後のほとんど4000年前)に建設していたと考えられる。同じD系統のチベット・中国にもピラミッド状の建造物が残っている。 (D系統とE系統は 古い時期に分岐)





  世界中に見出される古い文字”ペロトグリフ”(Wiki押戸石石群(熊本)、佐田京石(大分): 岩の上や洞窟壁の どれにも分類されない稚拙な文字が、全世界で共通しているとされるもの)は、初期の頃「一つの言語だった」(創世記11:1)というその言語かもしれない。 言葉はいきなり通じなくなった(直訳:「互いに聞けなくなった」)が、文字としてはある程度の期間残っていたのかもしれない。
     ( → 人類は世界共通の文字でつながっていた ユーチューブ) ・・・ Ψ のような文字が”神”を表す(上3本+下1本; 三位一体の神?)

   


    * トルコ・アララト地方の ノアの箱舟遺跡:(by.Google Map)
 

          → ノアの箱舟

 


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